大判例

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大阪高等裁判所 昭和32年(ネ)1199号 判決

控訴人 小池藤左衛門 外二名

被控訴人 藪中実康 外二名

主文

1被控訴人藪中俊一、同藪中実康、同藪中資康、同青木美恵、同青木たか子に対する本件控訴は、いずれもこれを棄却する。

2原判決中被控訴人青木一美に関する部分を次のとおり変更する。

3控訴人らは各自被控訴人青木一美に対し、四三、八〇九円及び内三〇、〇〇〇円に対する昭和二九年八月一四日から、内一二、三八〇円に対する同年一〇月一日から、内一、四二九円に対する同年一一月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

4被控訴人青木一美のその余の請求を棄却する。

5控訴人らと被控訴人藪中俊一、同藪中実康、同藪中資康、同青木美恵、同青木たか子間に生じた控訴費用は、控訴人らの負担とし、控訴人らと被控訴人青木一美間に生じた訴訟費用は、第一、二審を通じこれを二分し、その一を控訴人らの負担とし、その一を被控訴人青木一美の負担とする。

6この判決は、被控訴人青木一美が控訴人らに対しそれぞれ一〇、〇〇〇円の担保を供するときは、第三項及び第五項に限り仮に執行することができる。

7原判決主文第一項(二)及び原判決一六枚目表七行目にそれぞれ「金四七六、一〇一円」とあるのを「金四二六、一〇一円」と更正する。

事実

控訴人ら代理人は、「原判決は控訴人らの勝訴部分を除きこれを取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、

被控訴人ら代理人において、控訴人崔に対する請求原因として、「仮に、控訴人崔が本件事故につき上久保和一と共同不法行為者として責に任ずべきものでないとしても、上久保和一の使用者として民法第七一五条により同人の本件小型四輪貨物自動車の運転上の過失により惹起した本件事故から生じた損害を賠償する義務がある。」と述べ、控訴人小池両名に対する請求原因として、「(一)控訴人藤左衛門は、その営業とする土木建築請負業につき、控訴人崔を使用人として雇い、当時自己が請負つていた和歌山県有田郡清水町「当時八幡村」における昭和二八年の災害復旧工事に従事させ、本件小型四輪貨物自動車を同控訴人に使用させていたものである。控訴人藤左衛門の使用人である控訴人崔の雇つた原審被告上久保和一(結局控訴人小池両名の使用人)が、控訴人藤左衛門の右事業の執行として右自動車を運転中の過失により本件事故を起したのであるから、控訴人小池両名は、被控訴人らに損害の賠償をする義務がある。(二)、仮に、控訴人崔が控訴人藤左衛門の使用人でないとしても、控訴人崔は、控訴人藤左衛門の支配下において同控訴人の下請負をしていたものであるから、原判決記載の請求原因事実(三控訴人藤左衛門及び正澄に対する請求原因)記載の原因により控訴人小池両名は賠償責任がある。(三)、仮に控訴人ら主張のように控訴人小池両名が控訴人崔に本件自動車を譲渡し、控訴人崔がこれを使用していたものとしても、控訴人らは、いずれも右事実を公表しないで、控訴人両名は、依然として自己の土木請負業に使用している小池組という商号を表示している本件自動車を控訴人崔に使用することを許容し、控訴人崔において右自動車使用につきみずからその責任を負担することを表示したものというべきであるから、控訴人崔が雇つた原審被告上久保が右自動車の運転中の過失により起した本件事故につき、民法第七一五条により責任がある。」と述べ、

控訴人ら代理人において、「本件事故発生当日の昭和二九年八月一三日控訴人崔は、神戸市内の自己の住居に行くため和歌山県有田郡清水町大字久野原の土木請負飯場事務所からその長男吉本義夫こと崔徳鎬に本件自動車を運転させてこれに同乗し、同町大字清水で原審被告上久保を便乗させて海南市に至り、同所で下車した。その途中上久保は、同県海草郡小川村所在郵便局前で自動三輪車の故障で困つていた小池智から和歌山市に行くならば修理店に右故障の修理方を依頼してくれと頼まれた。崔徳鎬は、控訴人崔が下車した後上久保の依頼により和歌山市県庁付近の宮本モータース店まで前記自動車で行き、同所で上久保が小池智から依頼を受けた右用件を終えて帰る途中、海南市の手前で上久保と運転を交代し、同人が運転進行中本件事故が発生したものであつて、右自動車を修理するために和歌山市に赴いたものでなく、これを修理した事実もない。(原判決の一一枚目表七行目に「本件自動車の修理を了えて帰る途中」とあるのは誤りにつき、上述のとおり訂正する。「従つて、本件事故は、控訴人崔の事業執行につき発生したものということはできないから、控訴人崔には責任がない。次に、本件事故発生当時控訴人藤左衛門と控訴人崔との間に被控訴人ら主張のように下請負契約があり、その工事のために本件自動車が使用されていたことは争う。仮に本件事故発生当時控訴人藤左衛門と控訴人崔との間に水害復旧工事の下請契約があり、かつ本件自動車が右下請工事施行のために使用されていたものとしても、本件事故発生当日は盆休みで、右工事は施行されておらず、控訴人崔の雇つている運転手川本富夫も休んでいたため、控訴人崔は、前記のように長男崔徳鎬に右自動車を運転させたのであるし、事故発生までの経過が前記のとおりであつたから、控訴人小池両名は、事故発生後初めてこれを知つたのであつて、それまでは全然知らなかつたのである。従つて、本件事故は、すでに述べたとおり控訴人崔の事業執行と関係がないことは勿論通常の事例として運転免許のない者に明示的にも黙示的にもその業務のため自動車の運転に当らせることはあり得べきことではないから、控訴人小池両名の全く予想できないことである。右のように事業の休日中しかも運転手不在中運転免許のない崔徳鎬又は上久保が本件自動車を運転したことは、請負人である控訴人藤左衛門及び控訴人正澄の指揮監督の範囲外において、同人らの独断と単独意思に基くもので、その結果本件事故が発生したのであるから、民法第七一五条の適用はなく、従つて、控訴人小池両名は本件事故につき責任はない。次に、被控訴人等が当審で主張する(三)の予備的請求原因事実の主張は、本件訴訟における準備手続終結後の新たな主張であるから、許さるべきものでなく、控訴人らは右主張に異議を述べる。本件自動車に小池組という表示のあつたことは認めるが、控訴人両名は、右自動車を控訴人崔に譲渡後小池組の表示があつたことは知らなかつたし、控訴人崔に小池組の商号の使用を許容したこともない。仮に控訴人らに損害賠償義務があるとしても損害額を争う。殊に被控訴人藪中俊一、同実康、同資康の請求する藪中千代の死亡による同人の得べかりし利益の喪失に基く損害は、同人の所得とその家族構成による生活費及び年齢、性別による就労可能年数を考えて計算すべきものである。仮に亡藪中千代の年間農業純所得が一一〇、〇〇〇円としても、扶養家族のない場合でもその所得の八〇パーセントは生活費に要すべきは通例であつて、自動車損害賠償保障法の損害査定要綱によるも八〇パーセントの生活費を控除した残額を財産的損害としている被控訴人藪中らは、千代死亡当時満三二年六月でその余命年数は少くとも三九年あり、その三九年間右同額の農業純所得があることを基礎として損害金を請求しているが、人の労働力は老年に至り年年減少することは当然であり、満三二年六月の千代が満六〇年又は満七〇年となつても壮年当時と同一労働力で稼働することができるとすることは実験則に反する。右損害査定要綱によると、満三二年の人の就労可能年数は二八年としている。そこで、前記生活費、就労可能年数を基礎として財産的損害額を計算すると、六一六、〇〇〇円となり、これを一時に支払を受けるものとし、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると、二八七、八五〇円となる。そうすると、千代の死亡により、被控訴人俊一、実康、資康は、その三分の一の九五、九五〇円ずつを相続したものといわなければならない。従つて、仮に控訴人らに損害賠償義務があるとしても、右金額の範囲を超えるものではないから、これを超える損害賠償を求める右被控訴人三名の請求部分は失当である。」と述べた外、

原判決の事実記載と同一であるから、これを引用する。

当事者双方の証拠の提出援用認否は、被控訴人の代理人において、当審における控訴人小池正澄、同崔竜駿各本人尋問の結果を援用すると述べ、控訴人ら代理人において、当審証人小池智、崔徳鎬、上久保和一の各証言、控訴人小池正澄、崔竜駿各本人尋問の結果を援用した外、原判決の事実記載と同一であるから、これを引用する。

理由

一、成立に争のない甲第七ないし第二一号証、原審証人川本富夫、原審及び当審証人崔徳鎬、小池智、当審証人上久保和一の各証言原審における被告上久保和一、原審及び当審における控訴人崔竜駿本人尋問の結果(原審及び当審証人崔徳鎬、当審証人上久保和一の証言、原審及び当審における控訴人崔竜駿本人尋問の結果中後記信用しない部分を除く。)を総合すると、控訴人崔竜駿は、土木建築下請負業を営んでいるものであるが(この点当事者間に争がない。)、昭和二九年八月一三日は盆休みであつたし、神戸市生田区荒田町の自宅に居住する妻が手術をすることとなつており、右自宅に帰る必要があつたので、帰宅することとなつたが、右下請業に使用する本件自動車の運転のため雇つていた運転手川本富夫が盆休みで帰郷し右自動車を運転する者がなかつたので、前日の一二日息子の崔徳鎬に対し自動三輪車の運転免許しか受けていない上久保和一に本件小型四輪貨物自動車の運転をすることを依頼させてその承諾を得、同月一三日午前七時頃まず運転免許を受けていない崔徳鎬に本件自動車を運転させ、和歌山県有田郡清水町大字久野原の飯場事務所を出発し、同町大字清水で上久保和一を同乗させた。途中同県海草郡小川村大字梅本所在の郵便局前で上久保和一は、元雇主の小池智から同人の自動三輪車の故障の修理方法を和歌山市所在の宮本モータース店に問い合せてくれるよう依頼されてこれを承諾し、ついで、同村大字大木から崔徳鎬と交代して本件自動車を運転して海南市海南駅に至つた。控訴人崔は、同日午前九時頃同所で降りその後の運転を上久保和一に委せ、同駅から汽車で神戸市に至つた。上久保和一は、右自動車を運転して和歌山市に至り、宮本モータース店に立ち寄り小池智から依頼を受けた用件をすまし、更にトヨタ自動車株式会社の代理店に立ち寄り、崔徳鎬の運転により帰途につき、和歌山市紀三井寺付近から上久保和一が運転し、時速二〇ないし二五キロメートルの速度で進行し、和歌山県有田郡清水町に帰る途中、同日午後三時五〇分頃海南市和歌山電気軌道株式会社日方停留所の約三〇メートル手前道路にさしかかつた際、前日来の疲労のため眠気を催し、仮眠のまま進行し、同所二九三番地津村菓子店前道路上で、同一方向に左側を歩行中の藪中千代大正一一年一月二一日生れ。被控訴人俊一の妻、同実康、同資康の母の背部に自動車の前部バンバーを衝突てん倒させ、約一〇メートル引きずり車輪で轢いたが、右事故に気ずかず進行を続け、同所七九六番地滝本運動具店前道路上で被控訴人青木美恵(昭和二二年九月二七日生れ、被控訴人青木両名の子)に右自動車を接触させ、車体下部に同女のスカートを引きかけて引きずり約一五メートル東進し、右事故に気ずいた崔徳鎬(事故当時は眠つていた。)におこされて初めて右事故を知り自動車を停止させたが、右事故により藪中千代に右頭頂部に拇指頭大の骨膜に達する挫創、左上膊骨折、左脇肋骨三本骨折の傷害を与え、同日午後四時頃右負傷による心臓麻痺のため死亡させ、被控訴人青木美恵に全治まで一〇〇日以上を要する(原判決一七枚目表一行目から同三行目までに記載のような傷痕は残つている。)顔面、両前膊、両下肢、左背部擦過傷、右耳部挫創を負わせたことを認めることができる。原審及び当審証人崔徳鎬、当審証人上久保和一の各証言、原審及び当審における控訴人崔本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない。自動三輪車の運転免許を受けただけで、小型自動四輪車の運転免許を受けていない者は、小型自動四輪車を運転することができないことは当然であり、かつ自動車の運転中眠気を催したときは、眠気をさました上で運転すべき当然の注意義務があり、正当な運転免許もなくしかも仮眠しながら運転することは運転者の重大な過失というべきであるから、本件事故は、上久保和一の本件自動車の運転上の重大な過失により生じたものであることは明白である。

二、控訴人崔が、右事故につき責任があるかどうかにつき考える。

(一)、被控訴人らは、控訴人崔は、本件事故につき不法行為者として、少くとも原審被告上久保和一と共同不法行為者として同人と連帯して損害を賠償する責任があると主張し、すでに認定したところにより明らかなように控訴人崔は、自己の営む土木建築請負業に使用している本件自動車に乗り、和歌山県有田郡清水町大字久野原所在の自己の飯場事務所から海南市海南駅に赴くに当りその息子の崔徳鎬を介し自動三輪車の運転免許を受けているのみで、小型自動四輪車の運転免許を受けていない上久保和一に、同人が後者の免許を受けていることを確認することなく、本件小型自動四輪車の運転を依頼させ、同人に運転免許を全然受けていない崔徳鎬と代る代る右自動車を運転させ、自分は海南駅前で下車してから後も右両名が和歌山市に行き、更に右飯場事務所に帰るまで右自動車を運転することを知りながらこれを許容したのである。自己が使用する自動車の運転を他人に命じ又は依頼して行わせる者は、当該自動車を運転することができる免許を有する者にこれを行わせるべき注意義務があることは、運転免許を受けた者に限り自動車の運転が許されていることから当然であつて、控訴人崔が前記認定のように小型自動四輪車の運転免許を受けていない上久保和一に本件小型自動四輪車を運転させたことは、自動車の運転者の選任を誤つた点において過失があることは明らかである。しかし、民法第七〇九条は、自己の故意又は過失による行為、又は他人の行為を利用し、例えば、責任無能力者を利用して加害行為を行う等自己の行為と同視し得る行為により他人の権利を侵害した場合に適用があるのであつて、特別の規定のある場合(例えば民法第七一四条、第七一五条)の外他人の行為によつて生じた加害行為につき適用があるものではない。従つて、被用者の選任監督を怠つた結果被用者が故意過失ある行為により他人の権利を侵害した場合にも、その使用者に右権利侵害について故意過失がないときには、その選任監督を怠つたことと右権利侵害との間に特に因果関係の認められるような特別の事情のない限り、右使用者に民法第七一五条の責任があることは格別、同法第七〇九条による責任はないものと解すべきである。又共同不法行為(狭義)が成立するためには、数人の行為の関連共同により違法行為が生じ、数人の行為がいずれも当該損害の原因となることを要する。本件事故は、上久保和一が仮眠しながら本件自動車を運転した重大な過失により惹起されたものであつて、控訴人崔は事故発生当時右自動車に同乗しておらず、従つて、右自動車の運転に何等関与していないし、指図もしていなかつたことは、すでに認定したところにより明らかであつて、控訴人崔に前記のように上久保和一の選任に過失があつても、自動三輪車の運転免許を受けているのみで、小型自動四輪車の運転免許を受けていない者に小型自動四輪車を運転させれば必ず本件のような事故を起すものとは限らないのであり、控訴人崔の前記過失と本件事故との間に特に因果関係を認めるべき特段の事由を認めることもできないから、前記理由により、後に認定するように控訴人崔に上久保和一の使用者としての責任があることは格別、控訴人崔に民法第七〇九条により単独の又は上久保和一と共同の不法行為者として、本件事故により生じた損害を賠償する義務があることを前提とする被控訴人らの請求は理由がない。

(二)、しかしながら、ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行につき第三者に加えた損害を賠償する責に任ずべきことは、民法第七一五条の規定するところであり、同条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、事業の執行自体及び社会通念からみてその事業の執行と密接な関連関係に立ち使用者の事業の範囲内と認めるのを相当とするものをいうのである。たとえ、被用者が私利を図り又は私用を達するためにした行為であつたとしても、その行為が外形上使用者の事業の執行と認められ、客観的にみて使用者の支配範囲内に含まれると認められる場合は、事業の執行に含まれるものと解すべきである。また同条にいわゆる「被用者」とは、使用者との間に継続的な雇傭関係がある者ばかりでなく、臨時的に当該行為のみに関し従事した者をも含むものと解すべきである。これを本件につき考えるに、一に認定したところにより明らかなように、控訴人崔は、土木建築下請負業を営み、本件自動車をその事業のため使用しているものであつて、本件事故発生当日はたまたま神戸市内の自宅に帰るための必要から息子の崔徳鎬を介し上久保和一に本件自動車の運転を依頼し、右崔徳鎬と上久保和一とに代る代る右自動車を運転させ、自己の飯場事務所から海南市海南駅前まで約二時間これに同乗し、その後は右両名が和歌山市を経て右飯場事務所まで右自動車を運転することを許容し、その帰途において、上久保和一の運転上の過失により本件事故を惹起したのである。従つて上久保和一の右自動車の運転は、控訴人崔の土木建築下請負業自体の執行ではないけれども、自動車を使用する控訴人崔の右請負業者と密接な関連関係にあり、客観的にみて控訴人崔の支配範囲内にあるものであるから、控訴人崔の事業の執行につきなされたものというべく、上久保和一が控訴人崔の被用者として控訴人崔の事業の執行につき藪中千代及び被控訴人らに加えた損害について、控訴人崔は、これを賠償する義務がある。

三、控訴人小池両名に本件事故につき責任があるかどうかを考える。

(一)、被控訴人らは、控訴人藤左衛門は、その営業とする土木建築請負業につき、控訴人崔を使用人として雇い、その主張する水害復旧工事に従事させ、控訴人正澄所有の本件自動車を控訴人崔に使用させていたものであると主張するが、前掲甲第二一号証中控訴人崔が本件事故の当時控訴人藤左衛門の使用人で同控訴人から月給を貰つていた旨の記載は、原審及び当審における控訴人崔本人尋問の結果と比べて信用できないし、被控訴人らと控訴人崔との間で成立に争がなく、被控訴人らと控訴人小池両名との間では、原審における控訴人崔本人尋問の結果により成立の認められる甲第四九号証の四中控訴人崔が昭和二八年以来小池組(控訴人藤左衛門の商号)の水害復旧工事の現場監督となつていた旨の記載は、原審における控訴人崔本人尋問の結果により事実に符合しないものと認められるから、甲第二一号証、第四九号証の四によつては、控訴人崔が、本件事故当時控訴人藤左衛門の被用人であつたことを認めることはできないし、他に当時右控訴人両名間に雇傭関係があつたこと、本件自動車が事故当時控訴人正澄の所有であつたことを認めるに足る証拠はなく、(もつとも、後に認定するところにより明らかなように、登録名義は同控訴人の名義となつていたが、当時すでに控訴人崔に譲渡されていた。)かえつて、原審における控訴人崔本人尋問の結果により成立の認められる乙第一ないし第三号証、同本人尋問の結果、当審における控訴人正澄本人尋問の結果を総合すると、控訴人は、本件事故当時控訴人藤左衛門に雇われていたものでなく、控訴人藤左衛門が請負つた水害復旧工事の下請負をしていたにすぎないこと、本件自動車は、元控訴人藤左衛門の所有(ただし登録名義は控訴人正澄名義であつた。)であつたが、昭和二九年三月一〇日控訴人藤左衛門は、これを代金五二〇、〇〇〇円で控訴人崔に売り渡す旨契約し控訴人崔は、同年五月一〇日右代金の支払を完了しその所有権を取得したことを認めることができるから、控訴人崔が、控訴人藤左衛門の使用人であり、控訴人正澄が右自動車を所有し、控訴人小池両名が控訴人崔にこれを使用させていたことを前提とする被控訴人らの請求は理由がない。

(二)、土木建築請負業者が、その請負つた土木工事を他の下請負業者に下請負させた場合、その下請負人の被用者が下請人の事業の執行につき第三者に損害を加えた場合に元請人がその責に任ずべきであるかどうかにつき考えてみるに、下請負契約というものは、世間一般に用いられている通称であつて、直ちに民法にいわゆる請負契約と同一であると速断することはできない。下請負契約関係には種々の態様があり、契約内容の如何により、元請負人は、(イ)、工事全般を下請負人に一任し、自己は何ら指揮監督をしない場合もあり、(ロ)、下請負人に対し工事上の指図をし若しくはその監督の下に工事を遂行させ、その関係は使用者と被用者の関係又はこれと同視し得る場合もある。(イ)の場合は、民法第七一六条により元請負人の注文又は指図につき過失があつた場合の外、元請負人は、下請負人がその仕事につき第三者に加えた損害を賠償する責に任ずべきでないが、(ロ)の場合においては、下請負人又はその被用者の行為によつて第三者に加えた損害につきその行為が前に説明するような意味で元請負人の事業の範囲内に含まれる場合には、元請負人は、民法第七一五条第一項によりその損害を賠償する義務があるものと解するのを相当とする。そして、この場合には、元請負人に代つてその事業を監督する者は、同条第二項により同様の責に任ずべきことは勿論である。これを控訴人小池両名の関係につき考えるに、控訴人藤左衛門が、小池組の商号を使用して土木建築請負業を営み、控訴人崔が、土木建築請負業を営むものであることは、当事者間に争がない。当審における控訴人正澄本人尋問の結果により成立の認められる乙第九ないし第一二号証、右本人尋問の結果、原審における控訴人藤左衛門本人尋問の結果、原審及び当審における控訴人崔本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人藤左衛門は、右請負業の業務として、和歌山県から水害復旧道路工事等を請負い、昭和二九年三月頃から数回控訴人崔と下請負契約をし、右工事の下請工事をさせ、本件事故発生当時は、控訴人藤左衛門が和歌山県から請負つた同県有田郡八幡村(現在清水町)久野原地内の昭和二八年度、二九年度県道高野湯浅港線道路復旧工事の下請工事をさせており、控訴人崔は、右下請工事に要する砂利、セメントその他の材料等の運搬、右下請工事に関する事務の連絡などに前記のように控訴人藤左衛門から買い受けた本件自動車を使用していたこと、控訴人崔は、昭和二九年三月一〇日右自動車を買い受けたが、登録名義の変更手続をせず、本件事故発生当時においても、控訴人正澄名義となつていたばかりなく、右自動車に金文字で小池組の表示のあるままで(右自動車に小池組の表示があつたことは、当事者間に争がない。)右自動車を前記用途に使用することを黙認していたこと、控訴人藤左衛門と控訴人崔の右下請負契約においては、控訴人崔の施行する下請工事につき、控訴人藤左衛門は、和歌山県の設計書に基いて、コンクリートの配合状況、道路状況、道路中心の確認、道路ののりの勾配、床掘の状況等の監督をすることとなつており、控訴人崔は、右監督の下に工事の施行をする約定で、実際においても控訴人藤左衛門の方から毎日のように工事現場に施行の監督に来ていたこと、控訴人藤左衛門は、昭和二八年から病気のためその営む土木建築請負業を自身ですることができなかつたため、自己に代り息子の控訴人正澄に右請負業は勿論控訴人崔との間の前記下請負契約に関する監督をさせていたことをそれぞれ認めることができる。前記控訴人ら各本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない。控訴人藤左衛門と控訴人崔間の本件請負契約の内容、控訴人崔の下請負工事施行の態様が右認定のとおりである以上、右控訴人両名の内部関係においては雇傭関係がないとしても、事業についての両者の関係は、実質上使用者と被用者の関係と大差なく、控訴人崔が本件自動車を使用してその事業を営むこと、少くとも本件下請負工事(本件事故発生当時右下請工事以外に控訴人崔が請負工事をしていたことを認むべき証拠はない。)については、控訴人藤左衛門の指揮監督を受けていたのであり、控訴人崔がその事業に使用する本件自動車を運転させた上久保和一が本件事故を起したものであり、同人の行為は、控訴人の崔の事業執行につきなされたものと認むべきことがすでに認定したとおりである以上、控訴人藤左衛門と上久保和一との間に直接の使用者被用者の関係がないとしても、右上久保和一の不法行為は、控訴人藤左衛門の指揮監督権の及ぶ事業の範囲内において発生したものと解するのを相当とし、このような場合にも民法第七一五条第一項の適用があるものと解すべきである。そうすると、控訴人藤左衛門は、本件事故により生じた損害を賠償する義務があるものというべく、控訴人正澄は、既に認定したところにより明らかなように、控訴人藤左衛門に代りその事業を監督していたものであるから、同条第二項により右損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

四、被控訴人藪中三名の請求する損害額につき判断する。

(一)、藪中千代の死亡により、右被控訴人三名の被つた損害。

(イ)、千代の得べかりし利益の喪失による損害。

成立に争のない甲第一号証、原審における被控訴人俊一本人尋問の結果により成立の認められる甲第四七号証、右本人尋問の結果によると、千代は、大正一一年一月二一日生れで昭和一九年三月一八日被控訴人俊一と婚姻し、昭和二一年九月二九日被控訴人実康を、昭和二四年八月二〇日被控訴人資康を出産し、心身ともに健康で、右二児を養育するかたわら農業に従事し、田七反三畝畑一反歩を自作し、一ケ年少くとも一一〇、〇〇〇円の純益をあげており、その生活費として一ケ年三六、〇〇〇円を要したことを認めることができる。従つて、千代が死亡せずに生存を続けるときは、その労働能力が死亡当時と同一であると認められる間は毎年七四、〇〇〇円以上の余剰をあげることができるものと認むべきところ、厚生省統計調査部作成の第九回生命表(修正表)によると、年齢満三二年六月(千代死亡当時の年齢)の女の平均余命は少くとも三九年であることを認めることができるから、本件事故がなければ、千代はなお三九年間余命を保つことができたであろうことが推認される。壮年時の労働能力が何時までどういう程度に保持できるかは職業の種類、健康状況その他いろいろな事情によつて一律に定めることはできないけれども農業に従事する女は普通の健康体であつても右生命表による平均余命年数の間同一労働能力を保持することのできないのは勿論であつて、特別の事情の認められない限り、満六〇年に達するまではそれまでとほぼ同一労働能力を、満六〇年から後は農業に従事し得るとしても、自己の生活費程度以上の収益を得られず余剰を生ずる程度の労働能力を有しなくなるであろうことは経験則上明らかである。そうすると、特別の事情のあることの認められない本件において、千代の得べかりし利益は、死亡当時の三二年六月からその後満六〇年まで二七年六月間一年間七四、〇〇〇円の割合による合計二、〇三五、〇〇〇円となるが、これを死亡時において一時に支払を受けるものとし、ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して計算すると一、三〇一、七一五円(円以下切捨)となることは計算上明らかであるから、千代は、控訴人ら各自に対し同額の損害賠償債権を有していたものというべきである。控訴人らは、扶養家族のない場合でもその所得の八〇パーセントを生活費に要するのが通例であり、自動車損害賠償保障法の損害査定要綱によつても八〇パーセントの生活費を控除した残額を財産的損害としているのであるから、千代の得べかりし利益の喪失による損害額の算定も同様になすべきであると主張するが、千代自身の生活費がその収入の八〇パーセントを要したことを認めるに足る証拠はなく、又自動車損害賠償保障法の損害査定要綱によつて算定しなければならない根拠はない。従つて、控訴人らの右主張は採用することはできない。

千代の死亡により被控訴人俊一はその夫として、被控訴人実康、同資康はその子(右身分関係は、右被控訴人らと控訴人ら間に争がない。)として、千代の被つた前記一、三〇一、七一五円の損害額の三分の一に相当する四三三、九〇五円ずつの損害賠償債権を相続により取得したものというべきであるから、右被控訴人三名は、控訴人ら各自に対し、右金額の債権を有することとなる。しかし、原判決は、千代の被つた損害金を一時に請求するものとしての損害額を九七八、三〇五円とし、従つて、右被控訴人三名の相続により取得した債権額は三二六、一〇一円ずつであると認定しておるが、右被控訴人三名から附帯控訴の申立のない本件においては、右損害金は、原判決の認容した三二六、一〇一円ずつの限度で認容すべきものとする。

(ロ)、千代の死亡により被控訴人藪中三名の被つた精神的苦痛に対する慰謝料。

(ハ)、千代の死亡のために葬儀費用等の支出により被控訴人俊一の被つた損害金。

右被控訴人らの請求する(ロ)、(ハ)の損害金中原判決の理由第一、一、(二)、(B)、(C)に認定する限度で正当として認容すべきものとする理由は、原判決の理由第一、一、(二)、(B)、(C)記載のとおりであるからこれを引用する。

(ニ)、そうすると、控訴人らは、各自被控訴人俊一に対し、右(イ)ないし(ハ)の損害金合計五一三、三一七円及び内金四七六、一〇一円に対する千代死亡の日の翌日である昭和二九年八月一四日から、内金三七、二一六円に対する最終支出の日(原審における被控訴人俊一本人尋問の結果により成立の認められる甲第二六ないし第二七号証によると、同被控訴人は、同年八月一四日と同月一六日に支払つたことが明らかである。)の後である同年一〇月一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被控訴人実康、資康に対し、それぞれ(イ)、(ロ)の損害金合計四二六、一〇一円及びこれに対する千代死亡の日の翌日である同年八月一四日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務かあることは明らかであるから、被控訴人藪中三名の控訴人らに対する請求は、右限度において正当として認容さるべきである。なお原判決主文第一項(二)及び原判決一六枚目表七行目にそれぞれ「金四七六、一〇一円」とあるのは、「四二六、一〇一円」の違算であり明白な誤りであることは記録上明らかであるから、主文においてこれを更正することとする。

五、被控訴人美恵、一美、たか子の請求する損害額につき判断する。

(イ)、右被控訴人三名の被つた精神的苦痛に対する慰謝料の請求中、被控訴人美恵の分が一五〇、〇〇〇円、被控訴人一美、たか子の分がそれぞれ三〇、〇〇〇円の限度で正当として認容すべきものと認める理由は、原判決の理由第一、二、(二)、(A)、(B)記載の理由と同一であるからこれを引用する。

(ロ)、被控訴人一美の被つた被控訴人美恵の治療費等の損害金の請求中、七〇〇円、五、四一四円、二、九六五円、四、七三〇円計一三、八〇九円の請求を正当として認容すべきものとする理由は、原判決一八枚目表末行から一九枚目表一行目に、「同第三十一、第三十八、第四十三、及び、第四十四号証によると、同表(ホ)の内金四、八三〇円」とあるのを、「同第三一、第三八、第四四号証によると、同表(ホ)の内金四、七三〇円」と訂正(甲第四三号証((請求書))に記載の一〇〇円の自動車賃と同第四四号証((領収書))に記載の一〇〇円の自動車賃は、同一のものであることは、甲第四三号証と同第四四号証の記載を対照すれば明らかであるのに原判決はこれを重複して計上しているから、これを訂正する。)する外、原判決の理由第一、二、(二)、(C)に記載の理由と同一であるから、これを引用する。

そうすると、控訴人らは各自、被控訴人美恵に対し、(イ)の慰謝料一五〇、〇〇〇円、被控訴人一美、たか子に対し、それぞれ(イ)の慰謝料三〇、〇〇〇円及び各右金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和二九年八月一四日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被控訴人一美に対し、(ロ)の損害金一三、八〇九円及び内金一二、三八〇円に対する最終支払日の後であることが原審における被控訴人一美本人尋問の結果により成立の認められる甲第二九ないし第三二号証、第三八号証、第四四号証により明らかである同年一〇月一日から、内金一、四二九円に対する支払日の翌日であることが、右被控訴人本人尋問の結果により成立の認められる甲第三六、第三七号証により明らかである同年一一月二日からそれぞれ完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、右被控訴人三名の請求は、右限度で正当として認容さるべきである。しかし、被控訴人一美の請求中右認定の限度を超えた部分の請求は失当であるから、棄却さるべきである。

原判決中被控訴人俊一、実康、資康、美恵、たか子の請求に関する部分につき、以上と同趣旨の原判決は相当であつて、この部分に対する本件控訴は理由がないから、民訴法第三八四条によりこれを棄却し、被控訴人一美に関する部分につき、以上と異る原判決の部分は失当であるから、これを変更することとし、同法第八九条第九二条第九三条第九六条第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 岡野幸之助 山内敏彦)

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